旅することで自己を知る -2ページ目

2/5 ローマ二日目

二日目はノリ・ミトとともに市内観光をする。
朝から22:00まで目いっぱい遊んだ。
昨日は散々だったけど、やっぱりローマって楽しい♪と思った。
私って単純だなぁ・・・


*ちなみに、22:00というのは、昨日から泊まっていたホステルの門限です。確か門限10分前に帰りました。ぎりぎりセーフです。ホステルというか、修道院の空き部屋を開放した場所なので、門限があるんです。ローマ・テルミニ駅を出てすぐの大通りを進んで、交差点で右に曲がって一つ目の通りにあります。わかりすらい場所ですが、シスターが優しくてすごくおすすめです。ややあって、ローマにはしばらく居座ることになるのですが、毎日盗難された携行品が返ってくるようにお祈りしてくださいました。朝起きたら、今日も祈っておいたよ、と…私はイタリア語はまったくわからないのですが、わかる方によるとそうおっしゃっていたそうです。かなりグラッツィエ(ありがとう)です!ローマにきたら、またここにお世話になりたいです(^^)みなさんにもおすすめです。女性の方はぜひどうぞ♪(女性限定ホステルです)

2/4 ローマ―盗難に遭う

 夜行でローマに来た。しっとりした風情のある東欧とはまた違う魅力、つまり開放感やパワーがあり、うきうきな気分になった。しかし!駅のカフェで朝食をとろうとしたときに、財布がないことに気付く。最初は(カードを)止めればいいかくらいの気分だった。しかし、番号を控えていた携帯までないことにきづき、唖然とする。とりあえず警察に行くも、頼りにならず、泣きたい気分になった。しかし、泣いても仕方ない。私は友達を宿に送り、シティバンクのトラブルデスクへ。いちかばちかという状況であった。手持ちのお金は100ユーロ。多少の現金があったのは不幸中の幸いだ。デスクにも無事たどり着け、カードを止めてもらうことに成功。さらに、クレジット・カードも止められた。保険会社にも連絡が取れた。担当の仲山さんには心から感謝した。

 気を取り直して、またバーチャル一人旅を楽しむ。『ローマの休日』で有名な、スペイン階段を下る。アイスクリーム屋がなかったのが残念だが、気分が晴れてきた。しかし!今度はカメラがないことに気付いた。再び、仲山さんのもとへ。出戻りで気まずく思いつつも、仲山さんはとても親切に対応してくれた。私は感謝の思いでいっぱいになった。

 もう盗難はないことを確認し、やるべきことをすべて終えた私は、ふとご飯を食べてないことに気づき、路地裏の小さな店に入った。トマトソースのフェットチーネ(6ユーロ)をいただいた。はじめて、イタリアに来たと思った。シンプルなトマトソースだったが、安堵感も手伝って、とてもおいしかったのを覚えている。

 夜宿に戻ると、ノリとミトがいた。ノリで一緒に観光しようよ、とナンパする。12:00頃、就寝。

2/3 ウィーン

 どういう理由から即日でブタペストを発ったかは覚えていないが、とにかく駆け足で列車に乗って、ウィーンを目指した。
 20:00頃、ウィーン・中央駅に着く。通貨がユーロであること、ドイツ語圏であること、英語が使えること、全体的に雰囲気が都会的であることなどから妙に落ち着く。シティバンクのATMもあり、胸を撫で下ろす。レストランでは、スープとドライカレーを食す。久しぶりにきちんとした食事をとった気がした。それまでというもの、生活費の切り詰めのために、安価なフランスパンばかりを食べていた(笑)

 ユースは多少割高(16.5ユーロ)であったが、清潔であった。絵葉書のセンスもよく(私にとって重要。旅行に行くと必ず絵葉書を書くのである)、バスルームも広く、よい選択であった。ここで、今までの洋服を洗濯する。
 朝目覚めると、既に8:00であった。朝食の時間は8:00まで。もうだめかな、と思いつつも一応頼んでみる。すると、特別に了解していただけた。朝食は、普通のコンチネンタルであったが、ジャムが豊富。梅、さくらんぼ、バター、はちみつ。私は、バターとはちみつを使用。おいしかった。
 ウィーンでは、昨日に引き続き、シシイの軌跡を辿ることにポイントを置いた。まずは、シェーンブルン宮殿へ。シェーンブルンは、戴冠後のシシイ、つまりエリザベートの居城である。エリザベートとこの城の関係については、ブタペストに至る道中で本を読んでいたし、日本語のガイダンスもあったので、よくわかってよかった。ただし、ここはエリザベートの居城というよりは、マリアテレジアの居城である感が強かった。
 お昼はHotel Sacherへ。本家のザッハートルテをいただきに行く。

 私は、旅行にくると必ず一流のホテルでお茶をする。一流のホテルでのアフターヌーンティーは、往々にして非常にゆったりしている。私の旅行は基本的に駆け足であり、ゆっくりと物事を考える暇がない。そんな私の旅行において、ホテルでのお茶は、いろんなことを見つめ直すためのインターミッションとして、なくてはならないものなのである。

 次に、王宮へ。こちらではより身近にエリザベートを感じられた。本でみた調度品や衣服があった。ミュージアム・ショップでは、シシイがつけていたジュエリーのレプリカを購入した。真珠のネックレスとおそろいのピアスである。これらを実際に着用することはないだろう。しかし、憧れで購入してしまった。

2/2 ブダペスト

 ミュンヘンから夜行でブタペストへ。旅も中盤である。

 道中、フッセンで購入したルートヴィッヒやその従妹シシイ(いわゆる皇妃エリザベートのこと。ヨーロッパではこの名称で親しまれている)に関する本を読みふけった。それらを読み終え、睡眠をとると、そこはもうハンガリーだった。

 ハンガリー訪問の目的は、①温泉に入ること、②シシイの軌跡を辿ることであった。前者については、急務だった(笑)。というのは、それまで、夜行列車での移動続きでろくにお風呂に入っていなかった。世界随一の温泉をこうした消極的な理由から志向するのは何だが、私たちはとにかくお風呂に入りたいと思っていた。後者については、昔演劇部に入っていたときに「エリザベート」を上演したことがあり、思い出深かったのと、個人的に彼女の生き方に共感するところがあったので、東欧にきたら訪問してみたいと思っていた。

 ブダペストは、全体的にひなびた印象を受ける。メトロは3つしか通っていない。補足的にトロリーのようなものが通っている。いずれも小さく、かわいらしい。言語は、独特のマジャール語のみを用いている。旅の会話集にも載っていない言語。当然、まったくわからない。通貨は「フォリント」、ユーロが使えない。ここにきて、初めての両替をする。チェンジでは、言葉が通じず不安になるもなんとか両替を終えた。

 さて、通貨を得ると、まず私たちはセーチェニ温泉に向かった。セーチェニ温泉は、意外にもすばらしかった。先に述べたように、ブダペストにはひなびた印象があり、温泉もそんな感じだろうと予想していた。しかし!温泉はアールヌーボー調の宮殿のような建物の中にあり、さながら高級ホテルのプライベートプールといった印象であった。外観はやはりひなびていたが、中に入ると宮殿クラスの格調高さがある。驚いた。温泉は本当にプールのようで、水着を着て入る。さらに驚いたのは、プールの中にチェスボードがあり、ご婦人や紳士が指していたことである。オツである。値段も、日本円にして700円。東京にこんな温泉があったら月一くらいで行っちゃいそう♪

 セーチェニ温泉の周りには、他にも見所がたくさんあった。美術館を巡ったり、スケートしたり、熟年旅行にでかけるならここかな、と思った。

 その後は、第二の目的を果たすべくマーシャチュー教会に行った。ハプスブルグ家の菩提寺であり、シシイがオーストリア皇妃になったときの戴冠式も行われた教会である。ここは、残念ながら外観のみ。もうすでに時間が遅かった。もう少し早く行けばよかったと残念に思った。しかし、この時間に来たことはある意味でラッキーだった。ドナウのバラと呼ばれる夜景に遭遇できたのである。漁夫の砦から一望したドナウ川、そしてドナウのバラは本当に優雅だった。シシイがここを愛した理由がわかった。はじめてブダペストの真価を知った気がした。これをみるためだけにヨーロッパにいくのも悪くない、そう思えるほどの美しさに私たちはうっとりした。

2/1 ノイシュバンシュタイン城―住まいと人生

 ミュンヘンで一休みしてからは、フッセンに行った。フッセンはかの有名なノイシュバンシュタイン城のある場所である。ノイシュバンシュタイン城とは、シンデレラ城のモデルとなった城である。少し辺鄙な場所にあったのが、ディズニーファンとしては外せない場所なので行ってきた。

 生でみたノイシュバンシュタイン城は、やはりシンデレラ城そのままの外観だった。なんてメルヘンティックなお城なのだろう・・・わかってはいたけれど、改めてそう思った。
 その後、中に入ってみると、やはりメルヘンティックな世界が広がっていた。天使の壁画、天蓋つきのこぶりのベッド、ろうそくを灯して使う金メッキのシャンデリア等々かわいらしかった。こんなところに住んでみたいなぁと思った。しかし、一方でここは本当に大人の住まいなの?と疑問にも思った。かわいらしすぎて、いい大人(しかも男の人)が住むには幼い雰囲気なのである。ヨーロッパのほかの地域の城をかんがみても、これほど幼い印象の城は珍しいと思った。

 しかし、ここにはここの歴史がある。なぜこのように幼い印象の城になったのか。そこには、主であるルートヴィッヒ王の数奇な運命が見え隠れしていた。ルートヴッヒは若干8歳?にして王である父親に先立たれた。その結果、彼は幼くしてバイエルンの王となってしまった。そして、たくさんの戦乱に巻き込まれてしまった。また、幼馴染であり、唯一の理解者だったシシィ(後述。後の皇妃エリザベート)とも離れ離れになってしまった。そして、彼は王としての自分の運命を呪い、あげくに精神を病んだそうだ。その代償として建設したのがこの城だったという。せめてユートピア的な城を作り、そこに住むことで気を紛らせようとしたのだという。こうした歴史を知ると、簡単に幼いと片付けてしまってはいけないなぁと思う。

 最後に、彼が非業の溺死を遂げたという湖に行ってみた。深い群青色をした湖の水面は、極寒のこの地で唯一暖かい太陽に照らされて、きらきらと白い光を放っていた。その光は神々しいまでに美しく、私はなんともいえない気持ちになった。

2/1 ミュンヘン

 寝台車に乗って、ぴゅーんとミュンヘンに到着。窃盗などされないかと心配だったけれど、何事もなかった。寝台車にしては安いし、快適だったし、言うことなし!ドイツの新幹線は最高。洗面所は有料だが、有料である故に清潔で安心して使える。
 朝食は駅構内のカフェで。ココアと持参のパンでコンチネンタルにする。パンはオラニエンブルグにて、一個0.45ユーロで購入。ジャムの小分けパックはベルリンで0.3ユーロくらい。旅も中盤に入ってくると、段々やりくりが上手くなってくる。

1/31 ベルリン

 ベルリンに着いた頃には、もう日が暮れていた。ベルリンはずいぶんと都会。人が大勢いてほっとした。しかし、ほっとしているのもつかの間、時間がなくなってしまったので、ベルリン観光は猛ダッシュで行うこととなった。一時間後には、ミュンヘン行きの夜行列車に乗り継がなければならなかったのである。狭い都市とはいえ、一時間で観光は至難の業。しかたなく、カイザー・ヴィルヘルムの記念教会をぱっと見し、ウンテル・デン・リンデンとブランデンブルグ門に急いだ。ブランデンブルグ門は最高だった。ライトアップされていて美しかった。というよりは、夜だったので、ライトアップされたそれを見ることくらいしかできなかったのだけど。しかし、私たちは満足した。もともとベルリンは舞姫の舞台を歩こう!というコンセプトで来たので目標は達成された。ただし、今回も仲居君の旅過ぎた・・・まぁむしろそこがテンションあがるところなんだけどね(笑)

 ポツダムは行けなかった。今度来るときは、もう少しゆっくり滞在して、ポツダムにも行きたい。ポツダム宣言の受諾された宮殿や、<憂いのない>サンスーシ宮殿などを訪れ、少しだけでも平和の軌跡を感じてみたい。

1/31 オラニエンブルグ

 先生と別れ、まずはオラニエンブルグの強制収容所の遺構に行った。収容所に着く頃には天気も悪くなり、空は灰色を帯びた白色をしていた。地平ももちろん白。雪がしんしんと降り積もる中、あたりは本当に静かだった。音があるとすれば、雪を踏みしめる音だけだった。視覚的には無彩色の世界だった。色がないことはこんなに怖いことなのかと思った。文字通り彩りがなく、感覚すらなくなっていくようだ。
 環境が人に与える影響というのを読んだことがある。それには、寒さは人を孤独にさせ、変化のなさは人を発狂させるとあった。わかるような気がした。数時間いただけでも気がめいるのだ。ましてや毎日ここにいるのだとしたらどうだろうか。恐ろしさから身震いした。
 そんなあたりの風景とは対照的に、遺構の中央には平和を願う塔が高く、高く聳えていた。

1/30 ブリュッセル

 昨晩フロントのお兄さんに明日は何時に出るのと言われ、わからなかったので適当に7:00と答えたが、実際には7:30で十分間に合い、7:30に出発する。「遅刻だね、大丈夫?」「大丈夫!ごめんなさい、昨日はよく調べてなかったから、実は適当に答えてました(--;ごめんなさい。」「それならよかった」やはり、いい人☆

 Thalysは値段が高いだけあって、綺麗な列車だった。座席も快適なので、列車の旅もオツなものだと思う。というか、初の国境越えだー!わくわくしつつ、地球の歩き方を読み、少ししゃべってからこれからに備えて仮眠した。目覚めると・・・
 「国境の長いトンネルをい抜けると雪国だった」!
パリは暖かかったので、予想もしなかった。でも、嬉しい驚き。
 ブリュッセルの街並みはかわいらしいかんじだった。雪景色だし、おとぎの国っぽい。やはり、パリとは雰囲気が違う。

 ブリュッセルではまず、「グランパレス」に行った。これは、かのジャン・コクトーが絢爛たる劇場と賞した広場であり、世界三大広場の一つであるらしい。しかし、実際はそうでもなかった。とりあえず、ベルギーワッフルとともに写真を撮る。
 次に、「小便小僧」を見に行く。道中は小僧のグッズばかり。小僧をかたどったチョコレートなんかもあり少々引いたが、実際の小僧はなかなかキュートだった。
 16:28、ブリュッセルよりケルンに向かう。到着は18:50、ケルン大聖堂は19:00まで。なんとか大聖堂に行きたいと思い、到着するや否やダッシュで向かった。無理かと思われたが、駅を出た瞬間大聖堂があった。地図をみて近いことは予想していたが、ここまで近いとは!ゴシック式の大聖堂はやはり重厚で圧巻だった。
 内部はわずかな灯しかなく、ほの暗かった。というか、束の間の見学だった。何せ、10分もない。これでは、あまりに仲居君の旅(フジテレビ系・めちゃめちゃいけてるの恒例企画。SMAPの仲居君が目的地についた瞬間、次の場所に行く、ということを繰り返す旅行企画です)過ぎる。明日、もう一度ケルンにきて、朝の大聖堂をじっくりみようと思い、ボンに向かった。
 ボンに着くと、先生がいらっしゃった。一年の頃ドイツ語を教えてくださった先生である。今年からボン大学に留学されていたのだ。
 お会いしたとき、すぐに先生だとわかった。日本からこんなに離れたところで大学の先生に会うなんて、不思議なかんじがしたが、変わらずお元気そうな先生の姿を拝見して安堵した。
 その夜は、先生のお宅に泊めていただいた。先生、その節は、郷土料理で厚くもてなしてくださり、本当にありがとうございました!

1/29 ヴェルサイユ

 少し感傷にひたりながらも、気を取り直してヴェルサイユへ向かう。RER(国営の特急)で行ったけど、遅い!ヴェルサイユ着は12:00頃だった。ヴェルサイユは、こざっぱりした綺麗な街。特筆すべきは、物価が安いこと。コーラの500mlボトルが1.25ユーロ。パリでは350mlで2ユーロだから、相当安い。サンドウィッチも2.9ユーロ。安い!!
 宮殿は、やはり豪華だった。太陽王ルイ14世の威光と財力を感じる。しかし、感動するかというとそうではなかった。私たちは昨日、モンサンミッシェルに行ってきた。そこは貧しくも精神的に豊かな場所だった。お金・地位・名誉。いらないといえば嘘になるが、それよりは、それらがなくても豊か、そういうほうが素敵に思う。

 パリに着いたら、翌日の8:25パリ発、9:50ブリュッセル着のThalys(国際線新幹線)を予約しようと思ったが、フルだった!初日に泊まった13ユーロの宿もフルで、今日はついてない・・・というよりは、今までがラッキーだったのかもしれない。予定を変更し、明後日ブリュッセルに行くことに。Thalys9315を予約。

 その後はルーヴルへ。友達はホステルへ。というわけでバーチャル一人旅スタート☆

 ルーヴルは、月・水が21:15までの開館。私はやっぱりラッキーだ。当初の予定がまわりまわって実現した。ルーヴルは火曜日休みだったというし・・・ついている。
 中に入ってみると、やはり来てよかったと思う。まさに美の殿堂というかんじ。とりあえずミロのヴィーナスことアフロディーテをみる。そしてサモトラケのニケ。ニケについては、お恥ずかしいことながら知らなかったが、思いがけず感動し、しばらく見入った。絵画もよかった。実を言うと、私はそれまで彫刻や絵画といった美術作品に興味がなかった。音楽には流れがあるのに対し、美術作品にはそれがないような気がして、つまらないと思っていたのである。しかし、そうではなかった。美術作品にも流れがあり、ドラマがある。ただ、その断片を切り取っているというだけだ。時間がないのではなくて、時間を止めているのだ。絵画や彫刻は一瞬のドラマにかけている。それは、もしかしたら、音楽以上にするどい時間感覚かもしれない。すると、美術は、観る者に対して、音楽以上に能動性を要求する芸術なのかもしれない。そう考えると、美術についてもっと知りたいとの思いに駆られる。私は、しばらく美術作品に見入った。

 美術館閉館後は、ルーヴルのカフェで本を読んだり絵葉書を書いたりして、一人の時間を楽しむ。そして11:30頃、帰宅。
 
 宿はParis Friends Hostelというところ。その名の通り、フレンドリーだった。電話では、本当は常連しか泊めないけど、もう遅いからうち泊まっていきな、という具合。実際に行ってみると、深夜にも関わらずおかえりー!と笑顔で迎えてくれた。さらに友情価格ということで割引もしてくれて、本当にありがたかった。ここはいろんな意味ですてきな宿である。外のネオンサインがいいかんじだし、内装もかわいらしい。シャワーは温かいお湯がたっぷり出てくるし、キッチンもあるから自炊もできる!!次パリにきたら拠点にしたいと思った。北駅の近く、お値段は16ユーロであった。