2/7 フィレンツェ | 旅することで自己を知る

2/7 フィレンツェ

 フィレンツェである。ここに来るまでは、どこかで不安感があった。また何かトラブルにあうのではないかと思ったのである。しかし、着いてしまうと、そういったものは一掃された。こちらは打って変わって、皆親切。町並みも芸術的。街全体が美術館との表現に納得する。まずは宿を見つけ、荷物整理。宿もアーティステイックでおしゃれだった。ルームメイトはオーストラリア人。クリスタル・ケイ似のかわいい子。ディズニーランドが好きということで盛り上がる。しかし、友達は疲れてしまったようだ。友達を残し、三度目のバーチャル一人旅がスタートした。
 
「フィレンツェだー!」
私は意味もなく走りだした。

 まずは、ドゥオモを目指した。私にとってのフィレンツェはドゥオモであり、クーポラであった。『冷静と情熱のあいだ』の影響である。行ってみると、映画でみたそのままのドゥオモとクーポラがあり、改めて嬉しい気持ちになった。

 ドゥオモを訪れた後は、地図を持たずに自由に歩いてみた。歩いてみて出会えるものを大切にしようと思った。しかし、今から思えば有名なところばかりに行けたようだ。メディチ家の菩提寺やダビデ像で有名なアカデミア美術館、ヴェッキオ橋など。そうそう、アカデミア美術館に至る前には、近くの美術学校にもお邪魔してしまった。美術館と勘違いしたのである。だがよくよく考えてみると学校だった(笑)中庭には、彫刻をしている学生やデッサンしている学生の姿があった。まさに、『冷静と情熱のあいだ』の世界だった。しかし、この街では、デッサンや彫刻は美大生に関わらず、日常的なことのようである。それもそのはずかもしれない。「街全体が美術館」の街なのだから。ここに生きる人は、何に捕らわれるということなしに、皆が自由に表現しているように思う。それは、何も服装に凝ってみるとか、髪型に凝ってみるとかという次元でなくて、精神の問題というか。自由に考え、自由に行動している、そんな印象を受けた。

 歴史的に、イタリアは二度天下を取った世界唯一の国だと言われる。第一はローマ帝国であり、いわゆるパックス・ロマーナである。第二は、ルネサンスである。これを可能にした背景にはどんなことがあるのだろうか。一つの答えとして、自由な国民性があげられるという。フィレンツェは、まぎれもなく、ルネサンス発祥の地である。

 日が暮れてくると、私は、今度は意図的に、ウィフィッツィー美術館を目指した。ウィフィッツィー美術館には、ボッティチェリの絵画がある。先に絵には興味がなかったと書いた。しかし、その時でさえ、これは別格であった。『プリマヴェーラ』を観てみたかった。実際に行ってみると、やはり『プリマヴェーラ』はすてきな作品だった。しかし、それ以上に私を捕らえたのは『ヴィーナスの誕生』だった。解説によると、ヴィーナスは、ルネサンスの終わりを感じて悲しみを感じているのだという。そう考えると、なんとも物憂げな表情をしているように見える。私はしばらく無為にヴィーナスを眺めた。ウィフィッツィーに来たときは既に、閉館二時間前であった。しかし、私はその限られた時間のほとんどをボッティチェリに費やした。